同窓会誌『小松原』がついに四十一号を迎えた。同窓会の機関誌として『小松原』を発行するようになったのは同窓会の最大の功労者といってよい故松木實(三期)の発案で昭和五十三年七月のことだった。

今はA4版で見易くなっているが創刊号はB5版でパンフレットのような状況だった。前にも書いたことだが、松木さんと創刊号を見ながら「いづれこの冊子に背文字を入れたい」というのが松木さんの念願であった。創刊号が出来たことよりも、そのことに執着しておられたのも懐しい。背文字は現在見てもらうとおわかりのように立派に印されている。

同窓会も昭和五十三年、五十四年は終身会費のことや、各支部の大きな動きがあり、試行錯誤している時期で『小松原』二号は昭和五十四年二月の発行、三号は昭和五十四年八月の発行、四号は昭和五十五年二月、五号は同年十一月の発行と不規則な発行になっており、昭和六十年の二月、八号から現在のスタイルになってきた。卒業式に終身会費を納めてもらい同窓会に入会してもらうという手順を踏み、同窓会誌を配布するということになっている。

今はこのスタイルが定着しているが、特に初期の頃は保護者からの叱責が多かったことを松木氏は学園の六十周年記念誌に書いておられる。それにしても専従のいない同窓会で、一年に二回も同窓会誌を発行するとはよほど使命感があったのだと思わざるを得ない。今ではとても考えられない。当時としては高校の同窓会で毎年会誌を出しているところは珍しかったようである。記念誌的な発行形態は今ではどこでもある。

さて初代の編集長は三期の小原鉄郎氏である。松木氏と同級だったこともあり、我々には厳しい松木氏を敬称なしで呼んでおられるのがおかしかった。氏は当時、新聞記者をしておられ、仕事の関係で伊集院支局長になられた。私が日置郡の湯之元(温泉として有名)に住んでいたこともあり、移動編集を行い、松木氏以下編集委員の上川路氏(八期)、藤崎氏(十五期)、当時、小原氏と同じ新聞社に勤務していた中礼氏などが参加した。今でも思い出すことがあるが、楽しい会だった。

学校を卒業すると母校とのつながりも薄れ、現況もよくわからないが、この誌面を楽しみにしているという同窓生の皆さんの声が支えになり発行を続けている。二月十日の卒業予餞会は毎年のことであるが編集作業は年末、年始をはさむため、毎年ぎりぎりの時間で処理している。今までのところ滞りなく発行されているが、編集は綱渡りである。

昨今は同窓会も周年記念の集まりが多くなってきた。その分だけ掲載のページは多くなるが、本誌は同窓生交歓を目的とした会誌であるからうれしいことである。若い期も新しい集いを持っているようであるから大いに誌面を利用してほしい。

新しい編集員も名乗り出ていただくことを待っている。

同窓会誌『小松原』編集長
三島 盛武(十二期)