東京チャプター

東京支部長メッセージ:佐伯 寧(35期)

テレワークにおいて

東京支部長(佐伯 寧)の写真|ラ・サール学園同窓会

非常事態宣言期間中は証券会社に勤務する私もテレワークを強いられていました。全世界で経済活動も停滞し、海外との新たなビジネスは滞りました。クロスボーダービジネス(日本と海外の取引)においてコンプライアンス面でアドバイスを求められることは皆無となりました。本来業務時間中である平日日中に、犬の散歩ができるほど時間的に余裕も生まれました。そのような時に、ニューヨーク勤務時代に現地の歴史を学ぶために収集していた切手を手にとったことが今回の話の始まりです。

集めた切手のことを随分と忘れていましたが、久しぶりに手に取ってみて、切手の1枚々々から歴史を感じるとともに、綺麗なデザインに改めて感心しました。我が家ではミニチュア・シュナウザーを飼っていることから、まずは壁飾りになるシュナウザーの切手を探しハンガリー・東ドイツ・モナコの3つの切手を入手し小さな額に納めてみました。今はダイニングの壁に飾っています(Photo 1)。

その後、切手ショップから海外切手の商品リストが送られてきましたのですが、その商品リストも見ていると、「ガンドンによる彫刻凹版切手」が掲載されていました。
ガンドン(Pierre Gandon)と言えば凹版彫刻の巨匠の一人として、フランスや仏植民地切手の作成者として有名です。ガントンは、ガントンの妻をモデルとした「ガントンのマリアンヌ」、星の王子様の作家「サン・デグジュベリ」の切手を手掛けています。凹版(おうはん)切手は、あらゆる印刷の中で最も手の込んだ方式で、高度な技術による金属彫刻が必要になることから、個人的には実用印刷というよりも芸術作品として観ています。
因みに、凹版切手では、北欧切手を手がけたチェスラフ・スラニア(Czeslaw Slania)、オーストリア切手の小ハンス・ランツォーニ(Hans Ranzoni d.J)、ヴォルフガング・ザイデル(Wolfgang Seidel)が有名です。

話を元に戻します。そのガンドン特集の中に「教育者ド・ラ・サール誕生300年」(Stamp 1)という切手を見付けました。一昨年は没後300年として話題になりましたが、こちらは誕生300年を祝した切手です。注文しない理由がありません。30枚注文し1枚は机の上に小さな額にいれて飾っています。(まだまだ余っています。)
詳細なデータが記載された市販アルバムがあれば、この切手の発行に至る背景が分かるのですが、今分かることは、『発行年月日:1951年4月28日発行、額面:15Fr、切り取り線(目打ゲージ):13、シートサイズ:50枚、発行数:3,115,000 枚、縦横:26.0×42.0㎜』ということだけです。(フランスフランはユーロになっていますが、現在の)15Frというと約300円で、随分高額な切手に思えますが、フランスでは1960年に100分の1のデノミネーションが行われています。1951年、当時1ドル=350Fr。同じく1ドル=360円であったことを考えると、この切手は15円切手となります。当時の日本では封書8円(1951年12月から10円)、ハガキ2円(同4円)でしたので、少し高めの切手だったのかもしれません。

次に他にものラ・サールの切手が存在しないか調べてみました。購入したわけではありませんが、いくつかの切手の存在が分かりました。フィリピン、モナコ、スペイン、アルゼンチン、スリランカの切手(Stamp 2、3、4、5、6)はまさに我々のラ・サールに関連する切手だと思われます。ベネズエラの切手(Stamp 7)に至っては我々の馴染みのラ・サールです。その他の切手(Stamp 8、9、10、11)は探検家である別のラ・サールだと思われます。その他にもラ・サール関連切手はありそうですが、にわか収集家には詳細な説明は難しいので、本格的な収集家OB諸氏にお譲りします。

さて、昨年の各支部の総会は5月の東京支部総会から全てキャンセルとなってしまいました。今年はどういう仕様であれ総会が開催されるよう41期を中心に1の期で検討を進めてもらっています。皆様方とまたお会いできることを楽しみにしております。

切手の写真|ラ・サール学園同窓会

名古屋チャプター

名古屋支部長メッセージ:飯島 明伸(32期)

名古屋支部長(飯島 明伸)の写真|ラ・サール学園同窓会

名古屋支部の通常のスケジュールでは4月に定期総会・懇親会を開催、7月頃に学校説明会を開催するというものである。
令和2年度はそのすべてがコロナの影響で中止となった。年度が始まっての最初の支部総会が名古屋支部であり、また、開催可否の決定は2月であったことから難しい選択となったが、結果的には4月に緊急事態宣言の発出という事態となったため正しい判断であったと思われる。その後もコロナ禍の勢いは収まらず今日に至っているのはご承知のとおりである。

支部長として同窓会活動に初めて携わったのは平成15年からだと記憶している。その前年の名古屋支部総会終了時に若松前支部長(16期)に呼び止められたのがそもそもの始まりであった。ほとんど前置きもないまま来年から支部長をやるようにとのことで、もともと体育会系の性格である私は、できませんとも言えずに同期の縣君(前事務局長)を巻き添えにして名古屋支部を引っ張っていく立場になったのである。元々の出身が名古屋であったこと、就職を機に地元に戻りその後家業を継ぐことになって税理士資格の取得もできていたことも支部長を引き受ける誘因だったのかもしれない。

支部長になってからは、積極的に他の支部の同窓会へも参加した。5月東京、6月福岡、7月大阪、理事会で鹿児島といった具合である。一度行くと各地の同期はもちろんのこと、現役時代にお世話になった先輩やお世話した後輩、そして理事会構成メンバーの諸先輩(就任当時は一番若かったはず)らと盛り上がること度々であり、また来年もと別れた手前、翌年、翌々年と続いていくことになったのである。この地道な努力の結果、他支部からの参加が増えてきたような気もしている。

名古屋支部の総会にはいくつかの特徴がある。一番は私の就任当時、3名の1期生が出席されていたことである。小倉、竹之内、鳥居の三氏であり懇親会の乾杯をいつもお願いしていたことを思い出す。残念ながら昨年度の会員名簿で小倉氏のご逝去を知ることになった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。次に挙げるは名古屋地区PTAと合同で開催しているという点である。若松前支部長時代にこの形となり、現在も続いている。名古屋にはよほどのことがない限り校長先生が出席いただけるというのも大きな特徴かもしれない。ホセ校長からドミンゴ校長へと変わった今もその伝統?は引き継がれているようで、学園側の配慮にはただただ感謝である。懇親会では出席者全員(含PTA)が必ず一言喋るというのも特徴で、小規模開催だからこそ可能となるこれこそ良き伝統である。
現役時代、名古屋地区出身者はごく少数であった。支部長となり当地区の現役生の数が関西地区を上回っていることにとても驚いた記憶がある。しかしながら近時は減少傾向とのことで、学校説明会にも力を入れていきたいと考えている。

コロナを機に世の中が大きく変わっていこうとしていく中、同窓会活動も変わっていかなければならないのかもしれないが、この活動そのものがラ・サール学園同窓会会員の思い出の場であったり、新たな出会いの場であったり、現役生にとっては憧れの場となるような、様々な「場」であり続けることは大事なことである。
2021年度についても総会、学校説明会を予定しているが、4月の総会開催は難しいと考えている。最終的な判断は2月下旬としたい。副支部長伊藤拓生(32 期)事務局長常川尚嗣(45期)と共にもう少し頑張ります。

大阪チャプター

大阪支部長メッセージ:長尾 俊幸(28期)

大阪支部長(長尾 俊幸)の写真|ラ・サール学園同窓会

28期卒の私は今年めでたく還暦を迎える事になったのですが、コロナに始まりコロナに終わると言う「どえらい一年」になってしまいました。
東京オリンピックをはじめ、様々な催しが中止され、世界中の人々の生活に大きな影響を与える事態となりました。
こちら大阪も感染初期は吉村知事による発信力でコロナ対応の優等生かと思われましたが、(令和2年12月現在)第三波に見舞われ、「感染防止」と「経済の立て直し」の両立がいかに困難かを思い知らされています。
同窓会の支部活動も、新人歓迎会を5月にオンラインで開催して以来、機能停止したままです。これから先はどのようになっていくのかといった将来不安はあるものの、学生時代以来の時間を持て余した人も多いのではと拝察します。

「禍福は糾える縄の如し」

私自身もテレワークで通勤が半減し、自宅滞在時間が増えたおかげで長年積読していた書籍たちを読破し、ネット配信される多くのドラマや映画を視聴することができました。

「コロナ禍の 後の心に比ぶれば 昔はものを思はざりけり」

日常を当たり前の連続と思って淡々と過ごしていた過去を思うと、これからの世界はなんと本質重視な新しい世の中になるのだろうか。
働き方改革や学び方改革が一挙に進み、可能性が広がった人もいるでしょう。
ステイホームで自分を内省したり、夫婦関係や親子関係が変わった人たちも多いでしょう。
願わくば、皆さんとって今年の出来事が良き事象となることをお祈りします。

福岡チャプター

福岡支部長メッセージ:中村 克久(34期)

福岡支部長(中村 克久)の写真|ラ・サール学園同窓会

COVID-19の感染が始まって早くも一年が経過しました。福岡支部においても昨年の年明けから支部総会開催準備のための幹事会で検討を重ねましたが、残念ながら同年の開催を見送りました。
集まってお酒も入った会食しながら旧交を温めるということは、同窓会において皆が楽しみにしている活動の中心であると思います。そうした活動の中で母校愛が盛り上がり、母校に対しての様々な支援活動の機運が高まってきたといえるのではないでしょうか。集団での会食ができない現状において、どのような活動を通して同窓会や母校への支援を行っていくかは私の中では未だ良いアイデアが浮かんでおりません。

現役の学生さん方にとっては、本当に困難な状況が続いていると思います。特に寮や下宿生が半数以上の母校にとっては感染対策のため行動の制限や施設の改善など他校に比較してもその多難さは想像以上でしょう。先生方や学園職員の並々ならぬご努力には心より敬意を表します。同窓会福岡支部としても今後どのような支援ができるか考えていかなければならないと思っています。

世の中においては会議から呑み会までオンラインで行っているところもあります。現に私も仕事の中では大いに活用して、内容によっては以前のやり方より効率がいいと思えるものもありました。
ただ、前述したように同窓会活動では幹事会や役員会といった打ち合わせでは有用と思いますが、全体の行事においてはやはり物理的に集まって開催しないと成り立たないような気がします。やはり、活動の中ではEnjoyする要素が大事ですし、それがあるから参加しようという機運も盛り上がろうというものでしょう。

福岡支部においては本年度、学校説明会と支部総会を運営方法を工夫したうえで、何とか開催に漕ぎつけたいと思っています。実際懇親会を行わずにどの程度同窓生が参加してもらえるか不安ではありますが、COVID-19収束後も含め今後のより良い運営方法も模索していきたいと考えています。
末筆ながらCOVID-19と戦って頂いている医療従事者の皆様やエッセンシャルワーカーの方々並びにラ・サールファミリーの皆様にエールを送ります。一日も早く平穏な日常生活が戻ってくることを祈って。

鹿児島チャプター

鹿児島支部長メッセージ:吉冨 秀介(31期)

鹿児島支部長(吉冨 秀介)の写真|ラ・サール学園同窓会

昨年は1月18日に新年会をジェイドガーデンパレスで行い、後に県知事になられる塩田康一君(33期)も出席し近況を報告して下さるなど、和気藹々とした雰囲気で幕を開けました。ウィルスの脅威の予感がある中、数日後にクルーズ船で乗客の感染が確認されると事態は一変。学校に臨時休校が要請され、学園にも大きな影響がありました。
そんな中、4の付く期を始めとする若手の皆さんと話し合いを兼ねて懇親の場を設けましたが、顔を合わせての同窓会活動は、(非公式とはいえ)それが最後でありました。

4月になり生徒の感染が確認され、同窓会を通じての支援が検討される一方、マスクなど物資が同窓生から送られるなど生徒たちへの支援が始まりました。
また、天文館の飲食店さんの集まりから「ラ・サールの寮生に唐揚げ弁当を差し入れしたい」というとても有り難い形での激励の申し出もありました。この件については学園で検討をして頂き「生徒たちの好きな唐揚げ弁当」を「購入」という形で「是非お願いしたい」とのお返事を頂いておりましたが、こちらの連絡に不備があり実現しなかったのが大変申し訳なく心残りであります。先生方は差し入れのお申し出の有り難いお気持ちを受け取って下さいました。こういう中で地域の方が「応援しよう」と思って下さることに胸が熱くなる想いであり、誌面を借りてお詫びと感謝を申し上げます。
5月予定の同窓会コンペも間際まで開催を模索していましたが、4月に出された緊急事態宣言が5月末まで延長されたことなどもあり止む無く中止。併せて夏の総会の開催についても話し合われ残念ながら、担当期を含めて2021年に持ち越すことが決まりました。担当の4の付く期の皆さんにおかれましては2年越しの準備というハードな受け持ちになりますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

夏以降の状況が改善しないことはご承知の通りで、下鶴隆央(48期)新鹿児島市長もいらしたであろう今年の幕開けの新年会も中止を余儀なくされ、幹事会や総会についてもオンライン開催の可能性があるのか、検討されています。ただ、ワクチンの接種も始まり「明けない夜は無い」の夜明けが視野に入ってきました。これまでの我慢が無駄にならないように、今は大勢で集まってワイワイ楽しむ飲食を伴う会合は控え、晴れて同窓会の集まりで(敢えて復唱しますが)大勢で集まってワイワイ楽しむ飲食と伴う席をご用意できる状況になりますように、祈るばかりであります。